〈法明院沿革〉

鎌倉初期の承久三年(1221)高野山の高僧(かっ)(かい)上人によって西宮本寺田(現 宮本三丁目)に開創されました。そこに約300年在り、その後、(えん)(べん)上人によって、弘治元年(1555)現在地に移し建てられました。昔は高野山(ほう)亀院(きいん)の直末でしたが、近世になって真言宗智山派になりました。

現在の本堂は天保5年(1834)に再建され、内部総欅造りの本堂になっています。

明治44年大師堂完成。

大正11年鐘楼堂完成。

昭和30年梵鐘再鋳。

昭和54年観音堂(納骨堂)完成。

昭和62年本堂銅板屋根葺完成。

平成22年永代供養墓「浄」完成。

令和3年樹木葬型ガーデン霊園「にじのかけ橋」完成。 「にじのかけ橋」詳細はこちら

    

(まき)(りょう)湖書寺号(こしょじごう)(がく)

幕末の三筆(市河(いちかわ)(べい)(あん)貫名(ぬきめい)海屋(かいおく)、巻菱湖)の1人、現在の新潟市西蒲区に生まれた巻菱湖が書かれた寺号額です。

これは新潟県立近代美術館で開催された『良寛と巻菱湖』(平成28年12月~平成29年1月)という展覧会に展示されました。

    

外陣天井画

現在の本堂が建てられた天保5年(1834)の当時のまま残され、色彩豊かな四季折々の草花が描かれています。

    

内陣天井画

本堂を守るために双竜の絵が描かれています。近辺のお寺で竜2匹が描かれているお寺はあまりなく非常に珍しいです。

    

大 銀 杏

樹齢約450年。法明院がここに移ったのが弘治元年(1555)とされていて、その頃に植えられたといわれています。

    

厄除(やくよ)大師堂(だいしどう)

鐘撞堂の横にあるお堂(大師堂)に祀られているのは、「厄除け大師(だいし)御尊像(ごそんぞう)」です。「()(けん)大師(だいし)」とも呼ばれています。

この像は、平安時代に疫病が流行した際、弘法大師が嵯峨天皇より、疫病を収めるよう命を受け、退散を祈願された時のお姿です。『厄難消除』『災厄消除』『疫病退散』『無病息災』のご利益があります。

観音堂

 霊園の上にあり、中に木造十一面観世音菩薩が祀られている。両側は納骨檀になっている。

バス案内

長岡駅前より大積行きの場合は宮本上口で下車。または柏崎行きの場合は宮本で下車。どちらも約30分。

アクセス

住所:長岡市宮本町1丁目甲246番地

電話番号:0258-46-3528

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