古より受け継がれし仏の教えを伝え

いのちを育み いのちをつなぐ

すべてのいのちはつながっています。
一つ一つのいのちの存在は無数の縁によっていただいた尊いものです。
仏さまに手を合わせることは自分自身を支える無数のいのちに感謝し手を合わせることです。
過去に後悔したり、未来に憂えたりせず、
今、生きていることに感謝することで、心が清められ安らかなる心になります。

法明院について

法明院は鎌倉初期の承久三年に高野山の高僧(かっ)(かい)(しょう)(にん)によって西宮本寺田(現・宮本三丁目)に開創され、約300年そこに在った後、(えん)(べん)上人によって弘治元年(1555)に現在の地へ移し建てられ今に至ります。
明治以前の法明院は高野山金剛峰寺(和歌山県)を総本山とする古義真言宗に属しており、高野山(ほう)()(いん)の直末でした。近世になり、智積院(京都府)を総本山とする真言宗智山派になりました。

宗派
(しん)(ごん)(しゅう)()(さん)()
寺院名
(はち)(よう)(ざん) (ほう)(みょう)(いん)
御本尊
不動明王(秘仏)
前立ち本尊
十一面観世音菩薩
霊場
越後新四国八十八ヶ所霊場 第六十六番札所
本堂外観
住職写真
中興23世 住職
大谷 宥真Ohtani Yushin

昭和59年(1984)生まれ。母、妻、息子2人と暮らしています。
子供の頃からサッカーが好きで、大学生までサッカーをやっておりました。現在もフットサルへの参加やランニングをしており、マラソン大会に出場するなど体を動かすことが好きです。

長岡大手高校卒業後、大正大学人間学部仏教学科へ進学し、在学中に僧侶の資格を取得いたしました。
大学卒業後は地元長岡に戻り民間企業へ就職。先々代住職・先代住職の補佐と仕事を両立しながら約12年間勤務させていただき、令和元年(2019)に退職後、同年9月に住職に就任して現在に至ります。

当院に少しでもご興味を持たれた方はお気軽に法明院へお越しください。

1221
承久3年
西宮本寺田(現・宮本三丁目)に開創
1555
弘治元年
現在地へ移し建てられる
1821
文政4年
旧本堂 焼失
1834
天保5年
現本堂 完成
1911
明治44年
厄除け大師堂 完成
1922
大正11年
鐘楼堂 完成
1955
昭和30年
梵鐘 再鋳
1959
昭和34年
中興21世住職一宥和尚 就任
1979
昭和54年
1984
昭和59年
弘法大師1150遠忌大法要厳修
2010
平成22年
2014
平成26年
中興22世住職 宥成和尚 就任
2019
令和元年
中興23世住職 宥真 就任
2021
令和3年
樹木葬型ガーデン霊園「にじのかけ橋」完成
ペット供養墓 完成
開創800年記念御本尊不動明王御開帳

法明院の所蔵品

collection
七條左京康敬作「十一面観世音菩薩」

(しち)(じょう)()(きょう)(こう)(けい)(じゅう)(いち)(めん)(かん)()(おん)()(さつ)

法明院のご本尊「不動明王」は扉が閉じた厨子の中に納められ、普段は拝観することのできない”()(ぶつ)”として祀られています。
その厨子の前に安置しているお前立ち本尊が京都の大仏師(こう)(けい)(1788-1850)が制作された「十一面観世音菩薩」です。
鼻筋の通った端正なお顔立ちと衣の流れが水のようで美しい仏様です。[父は(こう)(ちょう)(1759-1818)、祖父は(こう)(でん)(1733-1793)] 補修は今までされたことがなく、製作当初のままのお姿です。
台座底面に「(きょう)(たから)(まち)(きん)()()(よう)(しょ)(だい)(ぶっ)()(しょく)(ほう)(げん)(しち)(じょう)()(きょう)(こう)(けい)(これを)(つくる)」と書かれてあります。
この「十一面観世音菩薩」は、11のお顔で常に全方向を見守り、人々のどんな苦難も見逃しません。
また、それぞれのお顔は私たちをなだめたり怒ったり、励ましたりもしてくださいます。

巻菱湖書寺号額

(まき)(りょう)()(しょ)()(ごう)(がく)

現在の新潟市西蒲区(旧巻町)に生まれた、幕末の三筆の1人でもある(まき)(りょう)()(1777-1843)が書いた寺号額です。(幕末の三筆:市河米庵、巻菱湖、貫名菘翁)
この寺号額は、平成28年(2017)12月に新潟県立近代美術館で開催された『良寛と巻菱湖』という展覧会に展示され、寺外に初公開されました。

外陣天井画

外陣天井画

色彩豊かな四季折々の草花が描かれており、現在の本堂が建てられた天保5年(1834)当時のまま残されております。

内陣天井画

内陣天井画

本堂を守るため、双竜の絵が描かれた天井画です。近辺のお寺の中でも2匹の竜が描かれている所は少なく非常に珍しい物です。

お堂・鐘楼

hall & belfry
本堂

本 堂

文政4年(1821)に旧本堂が焼失。天保5年(1834)に再建された本堂が現在も使われております。
本堂内には()()()(さん)(ぞん)や閻魔大王、(びん)()()(そん)(じゃ)(なで仏)と多くの仏像が祀られていて、本堂左側には護摩壇があり、毎年一月に行われる開運厄除け祈願祭でお護摩が焚かれます。また、大縁にある欄間や内陣外側天井には、竜や獅子の迫力ある姿が彫刻されています。

厄除け大師堂

厄除け大師堂

鐘楼堂の隣にあるこのお堂には、(やく)()け大師御尊像が祀られています。この像は別名()(けん)(だい)()とも呼ばれており、平安時代に疫病が流行した際、弘法大師が嵯峨天皇より疫病を治めるよう命を受けて退散を祈願された時の姿を表しています。
厄難消除、災厄消除、疫病退散、無病息災のご利益があります。

観音堂(納骨堂)

観音堂(納骨堂)

霊園を上がった先の見晴らしの良い場所に建っているこのお堂には、木造聖観世音菩薩像が祀られています。
このお堂は納骨堂にもなっており、像を囲むように作られた納骨壇で観音様に見守られながら眠っておられます。

鐘楼堂

鐘楼堂

お堂は大正11年(1922)に建てられ、旧梵鐘は第二次大戦中に供出され現在の梵鐘は昭和30年(1955)に再鋳されました。
大晦日には参拝者から鐘が撞かれます。

大銀杏

大銀杏

境内には樹齢約450年の大銀杏がそびえ立ちます。
法明院が現在地に移った頃に植えられたと言い伝えられており、秋になると美しい金色に彩られます。

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